龍の鱗伝説

猪名川町 景福寺に保存される「龍の鱗」

景福寺は応安二年(1369年)、兵庫県川辺郡猪名川町に通幻禅師というお方が創建しました。現在は四十七代目まで受け継がれて景福寺を守っています。長い歴史を眺めてきた景福寺には、とある「龍」にまつわるお話が伝承されています。口頭で伝えられてきたこの龍のお話には、実はたくさんの人々を救いたい景福寺の思いが込められた伝説なのです。

 

景福寺の本堂

  1. 「景福寺」誕生秘話と龍の鱗
  2. 鱗に恵みの雨を求めて
  3. 現存する鱗
  4. まとめ:鱗は本物なのか
  5. 取材されました!

「景福寺」誕生秘話

景福寺を開山(寺をお開きになられた初代住職)した方は、永平寺と共に曹洞宗の大本山総持寺そうじじ(横浜市)で、総持寺第五世の住職通幻寂霊つうげんじゃくれい(以下通幻)という禅師様。はるばる猪名川町へやってきたとき、道で屈んで休憩していたところ、六瀬の土豪平尾越中守にいおりを使ってくださいと声をかけられたことで猪名川町に腰を据えることとなった。

そこから5年経ったある日、夢枕(夢の中)に仙人が現れた。北西の方向へ現れたので、通幻は起きるや否や飛び出していった。その地、三田には後に通幻が永澤寺というお寺を建てるのだが、なんとその井戸から龍が飛び出してきた。龍は天に登り鱗を9枚落とされた。こうして龍の鱗は地上にやってきた。

その後、通幻の弟子が鱗を一枚を持って前述の猪名川町のいおりに訪れて建て直し、景福寺を開山。師、通幻を初代住職として迎えた。火災などで現在は近くの別の場所に建て替えられた景福寺だが、龍の鱗もこの伝承とともに大事に保存されている。

鱗に恵みの雨を求めて

それからさらに時が進んだ。日照りが続いた時に村の人々は景福寺に祈りに集まった。当時のお寺の役割は今よりも多く、学校・市役所・区役所などその村に大切な役割を担っていた。村人の心の支えだったのだ。苦しむ人々を前に、当時の住職は龍の鱗を取り出し三日三晩お経を唱えた。

すると、雨が降ってきたのだ。恵みの雨だと人々は喜び、龍の鱗の持ち主、龍神さんへ深く深く感謝した。


その後、援助者の移り変わりによって景福寺が姫路・岡山・鳥取にも建てられ、四景福寺と呼ばれるようになりました。この伝統によって、現在も町内寺院の半数近くが曹洞宗であり、周辺地域にもおよんでいます。

現存する鱗

現在は龍神様を模した祠の中に祀られています。現四十七代目住職が師匠から龍の鱗の話を聞いた時には師匠は鱗の場所を伝えなかった。しかし、今から40年前に景福寺の中にある観音様の足元から小さな箱が出てきた。中からは、貝殻のようなものが。しかし、裏側は貝とは似ても似つかなかった。住職はもしやと思い、庭の水辺に浮いている鱗(飼っている鯉から剥がれたもの)と照らし合わせると特徴が一致した。だがさらに疑問も残る。鱗にしては分厚すぎ、しっかりとした大きなサイズだった。
観音様のお足もとに大切に保管されていたことや箱に記しされていた文字などから見て龍の鱗に間違いないだろうと思い、立派な祭壇を立てて祀った。

まとめ:龍の鱗は本物なのか

現四十七代目住職

龍の鱗は景福寺初代住職、通幻が直々に龍神様と対面した時に落とされたものの一つだった。景福寺はさらに弟子たちによって姫路・岡山・鳥取にも建てられ、四景福寺と呼ばれるようになった。650年もの歴史を眺めてきた景福寺は龍神様にも見守られているのかもしれない。

本物なのかどうか疑問に思う声もある。しかし、本物かどうかは関係ないのかもしれない。村人を救いたい。心の支えとなるものが欲しいという気持ちに応えたい、という先代方の優しい心から生まれたものに違いはないのだから。

 


追記:取材されました!

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